余命宣告

お盆に帰省した。

今回は、お盆前の8月6日に父親の手術が行われ、帰省の間中病院に行くという、休みでない感じの休み。
父親は癌が発覚し手術を行ったわけだが、あけてみないとわからなかった切除部分が思いのほか大きく、ストーマがつきそれだけでも本人の気持ちは落ち込むのに、この後抗がん剤治療をという事が、あたしが帰省した日に病理検査の結果で上がってきた。

結果はステージ4。取った患部周りのリンパ節17個中17個に転移が認められたという事だった。
父親に対して医者は「現在取れるところは取りましたが、手術の傷が癒えたら抗がん剤治療を開始しましょう」と述べ、家族に対しては余命宣告がなされた。

宣告内容は、「抗がん剤治療をもししなかった場合は余命8ヶ月。治療した場合も約2年です。」というものだった。

父親に直接は期間など告げないのだが、もちろん、手術した後に抗がん剤治療を、と言われ本人はいくばくか悟る。
抗がん剤治療なんていやだ。はげるではないか。しんどいのはいやだ。」と駄々をこね始め、同時に「まだ生きたい」だの「もうすぐ死ぬのだから俺は好きにする」と病室で隠れてタバコを吸って看護師にたしなめられたり、夜勝手に出歩いて館内放送で呼び出されるだの、落ち込んでみたりだの、と、精神のジェットコースターに乗っている。

父親はあたしが赤ちゃんの頃、気胸という病気で生死の境を彷徨い、一度「臨死体験した」と子供の頃からその話をあたしは聞かされて育った。

父親の体験談はそれはもう日本人の典型的臨死体験といったもので、天井から赤子のあたしを抱く母親を見て、花畑、強い光、誰かに「帰れ」と言われこちらに戻ってきた事、そういった物語で形成されていた。

おかしなもので健康だったときには父親はその話をいつもしていて「あっちはいいところだから早く死にたい」といつも言っていた。

しかしながら、目の前に「死」が迫ってくると人は「生に対する執着」を見せ始める。
そして、精神のジェットコースターに振り回されるのは本人のみならず、母親や家族である。

家族の中であたしだけが近くに住んでいないので、比較的冷静に物事を見ることができる。
母親が父親のわがままや勝手な行動に振り回され、それに業を煮やした母親から愚痴の電話を受ける。
「今に始まったことではなく父親のわがままは昔からのものだ。病気でわがままがさらに悪化しているが、それにいちいち目くじらを立ててあなたが腹を立てていては、あなた自身の血圧が今度は心配だ。だから聞き流して欲しい。」と聞いてくれるかどうかは別として母親に言う。

余命宣告と言うものは果たしてどうなのだろうか。
それは医学の見解で、といったもので、魂の意向とは違う気がする。
余命宣告を受けても、何年も生きる人もいるし、きっちりと余命どおりで命を終える人もいる。
生きたいと思うのなら医者の言うことを聞き自己節制をし、煙草も酒もやめて治療に取り組むのが一番だと思う。
しかしながら現在の父親はやけを起こしていて病室を抜け出し煙草は吸う酒も飲むといったはちゃめちゃ生活をしている。
一体生きたいのか死にたいのかどっちやねん、という行動を取っているが本人は混乱中なので、今のところどうしようもないと思う。
母親がそれをたしなめても、「もうすぐ死ぬのに好きにさせや!」と怒り爆発中である。

そして今日、父親は一応、退院だ。体力があるので手術自体の経過は良好、傷の治りも早い。
しかも手術前の検査で体力的に50代の若さ、と言われ70代の父は喜んでいたのだが。
体力があり50代の若さなら転移が逆に早いのではないか、と逆に懸念する。

父親の癌が発覚したとき「なんで俺だけ癌やねん!うちの家系は癌なんかで一人も死んでないやんけ!!」とご立腹だった。
確かに祖父は老衰、祖母は脳梗塞、といわば「ポックリ家系」であった。
パタリと倒れてあの世行き、ができると思っていた父親が、現在苦しんでいるのは、「しんどい思いして手術したら治るとおもてたのにまた抗がん剤治療やとぉぉーーー」と、思い通りにならなかった事への憤りが強いと思う。

あたしが離れた土地でできることとは一体なんであろう、と今現在は思っている。
キューブラーロスの死ぬ瞬間を読め、と言ってみようかとか、色々考えるが、それも本人にとってはどうなのだろう、などと思ったり。

ああいった本は健康なときにひととおり読んでおいたほうがいいのかもな。
人は死ぬ。
人間の死亡率は100%。
死なない人間はいないんだ。

もちろん誰だって家族の死を望まないであろう。
でも、遅かれ早かれ、人は死んでしまうことに変わりはない。

個人的に衝撃だったのは「臨死体験した人は死への抵抗が少ない」と思っていたが、父親の抵抗っぷりが「あれ?」と思わせるものだったこと。

これからどうなっていくのか観ていきたいので、今後できるだけ帰省しようと思っている。