書き換え可能


ちょっとしたきっかけでびっくりするような事に気づくここ最近の日々。

人を信じれない自分がいた。
どこでそれを自分自身で決めたのか?
それがわかってしまった。


前の彼、いや、その前の旦那、いや、違う、もうちょっと、前…。
内観して、さかのぼってたどり着いたのは18歳。
あたしはこの時、「もう人は信じない」と決めた出来事があった。


当時付き合っていた男の子、その子に自分の父親を罵倒されて「そんな父親の子供は信用できないな!」と捨て台詞で喧嘩別れ。
そんな父親、ってのが何だったのか、は思い出せないんだけど。些細なディティールはもう別にどうでもいい。
その時、激しく傷ついたあたしのエゴは「あなたがあたしを信じないならあたしもあなたを信じない」
というブロックと「父親のせいでこうなった」というブロックを作り上げたようだ。


信じてくれないなら信じない、はもう、いらない。
父親のせい、ではなく、それは単にこじつけの理由。
父親罵倒なんて、「おまえのかーちゃんでーべーそー」な子供じゃないか!
何て幼稚な…と思ったら大笑いしてしまった。
今の視点から見たら本当に些細なばかみたいな単純な18歳の喧嘩の中の出来事。


気づいたら、ほんとばかみたい。
なんでこんなのが自分のブロックだったわけ?と思うようなことが案外ブロックとして潜んでるんだよなぁ。


そこが溶けたら、楽しかった事ばっかり思い出した。
18歳ならではのピュアワールド。
あぁ、面白かったなぁ、奴との日々。
あいつ、今頃どんなおっさんになってるんだろ。ククク。みたいなあったかい気持ち。


溶けて、書き換わったら、今の自分が今の視点で決められる。


信じてくれなくても自分が信じたらいい。
もらわなくても自分からあげるよ。
人に先に信用をもらうより、自分が先に信用したらいいじゃないか。


父親が嫌いになった理由もわかった。
あの時の彼が単なる理由でそれを使っただけだ。
もう、別に嫌いじゃない。あんたのせいじゃなかったんだ。


思い込みは書き換えられる。過去は書き換えられるのだ。自分で。
その時思った事は、その時より少しばかり経験を重ねた今の地点からさかのぼって見てみると、案外たいしたことではないのだ。
いや案外たいしたことというより、それは激しく幼稚であほらしい出来事で。


一つの別れ。
そこで何に傷つき、何を決めたのか、に気づけたら、その時思い込んで決めた事は、今、書き換えられる。
過去は書き換え可能だ。


何故これに気づけたか?
それは友達との話がヒントになった。グダグダいい始めたのでプチセッションみたいになった話の中で。


彼氏が出来ない。なんでだろう?って話を彼女がした時、あたしが彼女に聞いた事。
前の彼氏の別れの原因何だった?
彼女の理由は自分が病気になった、という事だった。
自分の病気が原因で別れた、病気が治らない限りもう彼氏は出来ないんじゃないかと怖い。
いやちょっと待って、病気が原因って、そんな思いやりのない人、こっちから願い下げじゃないの?
そして病気があるから彼氏が出来ないって、あなたその時「傷ついて思い込んだ」でしょ?
違う違う、そんな事ない。世の中には沢山の人がいる。
その人が病気だから付き合わないなんてそんな人は本人の本質を見れない人のする事。
病気があっても彼氏がいる人は世の中にいっぱいいるよ。
前の別れの時に自分が心の中に決めたその「思い込み」がブロックなんだよ。


どこかでいつか、なんかで読んだ本に書いてあったことのような気がするが原典はちっともわからないまま、あたしの口が勝手に彼女にそう告げた。


ほんとだね、と彼女は笑った。


そしたら、あれ?自分も昔、何か「思い込んだこと」ってないんだろうかな?と、ふと。


昔の思い込みはちゃんと見てみたら案外たいした事じゃない事に気づけた。
だって、18歳。そんとき別れた原因なんて、ほんとにたいした事じゃないのに。
ただの喧嘩の言い合いの中で出たひとつの些細な言葉。それを今まで持っていた事に驚いた。
わかったから「もうこれはいりません」と自分で、決めた。


人はそれを沈めてしまうんだな、潜在意識に。
かくれんぼみたいに隠れてる、それを見つけたら、書き換えられる。
言葉で言うのは簡単だけど。
傷ついた痛い自分を見たくないから人は沈める、見たくないから押入れに隠す。
やるのはとても難しい事。起こるタイミングがあるんだ。
それが「起こる」のは色んなタイミングの重なり。


キネシオロジーの友達に教えてもらったずっと自分で質問していくというメソッドが役に立った。


「また気づけたよ、ありがとう」