節分


節分の母親は慌しい。
朝から京都へ行ってくる!とあたしの家に護摩木を持ってきて、お出かけしてゆく。
京都へ行くのは年に一回、節分の日にしか開いていないというなんだか謎なお寺さんにヒョウタンを貰いに行くためだ。
そしてうちに氏神様の護摩木を持ってきて、京都から帰ってきたら氏神護摩木持って行くから、それまでに記入しておくように!と、ビシ、と言い渡され。
寺へ行き、神社へ行き、と一日中激しく行動するのである。


護摩木を取りに来たついでに巻き寿司を手渡される。鰯も後から持ってくるから!といいつつ護摩木を持って退場。
関西では巻き寿司の切ってない1本丸ごとをその年の恵方に向かって無言で食べねばならない。
恵方は毎年変るわけだが、みなが同じ方向へ向かい、無言でもふもふとその年の願い事を心に描きつつ巻き寿司を食べる、という行為は、よくよく考えてみればおかしな光景である。
そして関東にはない、というのも自分が関東に沢山出向くようになってから始めて知ったので、ちょっとびっくりした記憶がある。
日本全国で皆やっていると思っていたのだ。
鰯も食べねばならない。そして数え年の数だけ豆も食べねばならない。


鰯は本来食べた後の頭を柊にぶっさして玄関に飾る。邪気除け魔除けの風習。
柊鰯は鰯の匂いで鬼を引き寄せ、柊の棘で鬼をぶっ刺し、いてててて、と鬼が逃げていく、といった風習である。
鬼門に飾るのが本筋なのだそうだが、たいがいは玄関先に飾る。
うちは今では柊鰯はもう飾らないが鰯は食べさせられる。


巻き寿司丸1本、鰯、豆、そんなよぉさん食べれませんよ…
と、いうのが毎年恒例の節分だったりする。