物語を紡ぐココロ


26日、朝。
誕生日。
大好きなマグが真っ二つに割れた。


何年も前、5年か、6年か?いやもしかして、もう7、8年になるのかもしれない。買ったファイアーキング
黄色のダイヤ柄がかわいくて、お気に入りだった。
Dマグでなくショートマグと呼ばれるほうの形で、寸胴な形がかなりかわいかった。


アンティーク物は同じものや柄が揃う事はなかなかない。
その後、同じ形の赤色のダイヤ柄を数年越しで見つけて、買った。
別にコレクターでもないし、やっきになって探すことはない。ただ、やってくるものはやってくる。
ふらりと入ったお店でどちらも偶然見つけたものだ。


当時つきあっていた人と別れた時、あたしは黄色を譲り受け、その人は赤色をチョイスした。


二人とも好きなものが似ていたから、別れるときも仲良くなんでも半分こしたのだ。
CDなどは、各アーティストで枚数を分けて、端数が出たらじゃんけんでもらうほうを決めるみたいな、モノの分け方。


その人との事はちゃんと消化して、お互いよい友達になった。わだかまりは一切ない。
言いたいことがあったりすれば、いつでも連絡できる。そして、だからこそ、普段はもう、忘れている。
過去の出来事。


マグが割れる。
誕生日の朝に。


そういう事象で人のココロには物語が紡ぎだされる。


あぁ、またひとつ、あたしの手元から物体がひとつ消え、消える時に起こる事象、タイムマシーンボックスみたいに、事象からその人との思い出が溢れ出し、そして、物体が目の前から消えると、それらひとつひとつが薄まって消えていく。


マグが割れる。
普通の日の朝に。


なのだとしたら、感慨はまた変わり、紡ぎだす物語も違うものなのかもしれない。


人のココロはおもしろい。
色々な、出来事や特別な日に何かが起こると物語を作りたくなる。


長く大切にしていたマグが壊れた朝。誕生日。


別れた人との未練でなく、いいことばかりの想い出が、またひとつ、さらさらと流れた日。


なにかひとつ、なくなると、またひとつ、なにかがやってくるよ!とその日、あたしのココロは言った。