暴れ馬のようなモノ


九州よりお友達きたる。
お友達は能力者である。
いわゆる先祖代々の霊能者家系であり、血として引き継ぐ能力を持っている。


しかしながら、そのようなモノはえてして本人は迷惑だったりするものである。
あたしも普段から実感している。


彼女はビジュアルでズバン!と見えるタイプなので、最初その能力に気づいた時自分は気が狂ったのだと思ったらしい。
ただご家系なのでちゃんと家族がフォローしてくれる、要は「使い方を学ぶ人が身近にいる」ということだ。
あたしは感覚で感じるタイプなので、相手の身体のよろしくないところがその人と対面するとわかったりするので非常に苦労する。
「もらってしまう」からだ。いたたたた、となるので実際のところ非常に迷惑だ。
ほんとうにしんどく困惑し試行錯誤し捜し求めてある程度のコントロールを学べる環境を見つけ、精進し、日常を送れるようになった訳で。


なければないほうがありがたいこともあるという事もある、という事だ。


同タイプといると楽である。
だからあたしは彼女が大好きだ。
ほんのちょっと、こういう感覚が来てね…と話すと、彼女がビジュアルを「見て」、あ、こんなことなのよね?とすぐに理解してくれるから。


能力のない人は「なんかあたしも感じてみたりしたいねんー」といったりする反応をする人が多い。
恐れる反面羨ましがられるという、複雑な感情をいつも投げかけられたりするので、理解してくれる人しかお付き合いできない。
もしくは最初から話さない。そういうことがわかることを隠す。理解しそうな人には情報開示する。そうではない人には何も言わない。
お互いにそのほうが幸せだからだ。要するに異端。果てしなくマイノリティー


能力が羨ましい。ナニカを感じたい。そういう人は多い。
しかしながらそれは本当ですか?と問いたい。小一時間問い詰めたい。(小一時間問い詰めたいと言ってみたいだけ
ええことなんかおまへんで、と。


実際のところそれを受け入れ、日常生活が出来るようにしっかりと色んな事を勉強しておかないと、”もっていかれてしまう”。
ある程度、普通に暮らせるようにならねば、毎日暴れ馬に乗っているようなものなのだ。
もっていかれすぎると下手すると”出られない病院”行きだ。現実とアナザーサイドの区別がつかなくなったら、あっちの世界から帰ってこれなくなってしまう。


「あーれー、コントロールできまへん、たーすーけーてー」みたいなのがずーーと続くのだ。


暴れ馬は乗り方をマスターしないと怪我をする、落とされて踏まれて骨がバラバラ、とかになりかねん代物だ。
できることなら乗りたくなかった。しかし知らずに乗っていた。いや、乗らされたような気がする。立川在住の手作りTシャツを着たふたり組のあの方々に。(多分
何故自分がこのようなモノに乗ったのか自体は未だ理解できぬ。
しかし実際に乗っているのでしかたなく、それこそ骨身を削りながら乗り方を学び落ちないようにかろうじてなった。


他の能力がある人々はどうかしらんが、あたしたちはそう思ったよね。と。


久しぶりに会えて、言葉なくとも解りあえる人と電車に乗るのも名残惜しく改札前でカップルのように見つめあっているあたしたち二人。
また会える日まで…うっとり、みたいな擬似恋愛にも似た共通の解りあえる感覚をもった二人の最後を割って入る人達が現れた。


「モツ鍋食べに行かない?」


なんで、ナンパやねんっ。


うっとりタイムをナンパに遮られ。
しかもモツ鍋って…
爆笑しつつも「もう電車に乗りますんで、ごめんね」と丁寧にお断りして、能力者会合解散。