育む


今日は友達とランチ。
友達は自分の仕事のビジネスパートナーでもある。
おごってもらっちゃった。
日曜昼下がり、緑が多くしつらえてあるまるで植物館のガラスばりの建物の中にいるようなお店で、パスタのコースを頂く。
アンティパストにライスボールと茄子の上にトマトが乗ったもの、サーモンになぜかフルーツが添えられていたのにはちょっと謎を感じる。
ボンゴレビアンコのパスタとマルゲリータピッツァ、バゲット、マンゴーのブランマンジェとコーヒー。
食べすぎた〜
パスタのメーカーがアントニオアマートだったのがいまいちだったが。おごりなので文句は言わない・・・


友達が店長として任されているアロマセラピーサロンが今年いっぱいで閉店する事となった。
出資会社の意向だから、仕方のないことだ。
友達は独立の道へ進む。
いやぁ、めでたいな。


そのサロンのスタッフだが、仕事が出来ない、と彼女は嘆く。


違う視点を提案する。


仕事ができる人というのはえてしてなんでも自分で先にやってしまいがちだよ、と。
とても機転が利き、なんでもてきばきとこなす。
あたし自身見ていて惚れ惚れとするくらいに。


でも、それでは人は育たない。
やれない事を練習させてあげる「待つ」姿勢が大切だよと話す。


できない人をできる人に育てるのが上に立つ人の学びだと思う。


子供がボタンをかけられない、というのと似ていると思うのだ。
ボタンを自分でかけられるようになるまで、じーーーっと手を出さず待っていてあげる事。
大人がかけたらすぐにかけられる事で時間はかからない。
だからといって大人が手出ししつづけると子供はボタンのかけかたが憶えられないのだ。


頭が切れて気がよくついてなんでもてきぱきと鮮やかにこなす人に起こりがちな事だな。といつも思う。


昔の彼にそんな人がいた。
本当によく仕事が出来る。だから何でも自分でこなしてしまう。
するとどんどんと自分の仕事が膨れ上がり、任せる事をしてこなかったので部下は仕事が出来ない、いやさせてもらえなかったから憶えられない。
そしてある時、自分が抱えていて自分しか出来ない仕事ばかりになって、いっぱいいっぱいになってしまって、身体と少し精神を壊し仕事を辞めてしまった。

犠牲で仕事をしている人に起こりがちな事だ。

自らが仕事をやったほうが早いのだ。でもそれをしつづけると後続は育たない。
そして鮮やかにこなす人はいつの日か自分以外があまり動けなくなっている事に気づく。


べつにあたしは会社では部下というものはいないが、できる人ほどなぜその事に気づかないのがいつも少し、不思議。


一人で仕事をするフリーの人は別として、大規模でも小規模でもチームの中の自分の立ち位置で忍耐を持って待つ事を学ぶ事自体が、後続を育てる事になるというのが上に立つ人の学びなのにな、といつも思う。


しかし指導しても中にはいう事をぜんぜん聞かないタイプの人がいることも確かだが。
本人次第なところもある。


彼女は彼女なりに頑張った、が部下が育ちたくない人であったし、彼女も待てない人であった。
結果が出資会社の意向として現れたという事だろう。
彼女は仕事が出来るから一人になったらきっととても楽になると思う。
チーム仕事に向いている人、フリーが向いている人、きっと人それぞれだ。


自分の仕事は彼女とはジャンルがかぶっていない。
カテゴリーは同じだが持っているスキルが違うものだ。
ジャンルがかぶっていないからビジネスパートナーでいられるのだと思う。
彼女とあたしの関係はこれからフリー対フリーになる。
今まで以上に仕事はしやすくなるだろうな、と思う。


カテゴリーは同じだけれどジャンルは違う人同士が組む方がけっこう物事ってうまく回るのかもな。


会社という組織に属し、フリーの立場も同様に持っている事と、今まで関わってきた色んな人から学んだ事。
それは、一方向からの視点で決して見ない、ということだったりする。


コップは横から見たらレクタングルだけど底から見たらサークル。