繋がる


あぁ、やっと腑に落ちたよ。
あたしが何でポジティブシンキングが気持ち悪いのかが。


今年4月頃アメリカから友人が来て呑んだ時にThe Secretの事で、話をした。
今まで色んな自己啓発本が訳されてきているけれど映像で見せるというのはわっかりやすいよね〜、そりゃ皆さんはまるよねこりゃ、って、話になりました。(友人と私は精神世界ウォッチャーだったりして年一度あちらとこちらの業界動向をシェアするのだ)
今年入ってからぼちぼちとLOAについてのblogがやたらと立ち始め、みんな「引き寄せ〜!」と血眼になっているわけで。


でね、ほんと、いいんですよ、別に。
皆様が幸せになれば。
感情にフォーカスして感情を引き上げていけ!って考え方も理解できますよ。有効だと思います。ある地点まではね。


でも、いつもこの手のものに触れたときのなんともいいようのない、咀嚼感の悪さは一体なんなんだろう?と思っていました。


どんどん増え続けるありがとう教とポジティブシンキング部隊さんたち。
君達知ってるのかい?ポリアンナシンドロームって言葉をさ。


あたしが仕事はセラ○ストのくせに、ありがとう教やポジティブシンキング部隊や天使大好きお花畑頭ちゃん達が腑に落ちないのは、単に天邪鬼だからなのかのぅ?とずっと思っていました。片側しか見ないとはなんということ、と。もちろん仕事では使います。一部は。人によっては有効だから。


でも、さっき午睡(夜だけどな)をしていて起きたら、いきなり頭の中で繋がりました。


先日内田樹の講演に行った時の話で、フロイトがらみの話で、
人が肉親などを亡くすと(もしくは何か喪失の体験)「私にもっと出来る事があったのでは?」とか「もっとこうしてやればよかった」だとかの、
自責の念がどんどん出てくるけれど、ネガティブなものが出てくると「いやそんなことはない、わたしは精一杯のことをした」などポジティブな逆ベクトルの思考を生み出し、それの繰り返しの思考で人は癒されてゆくのだと、いう話をしていた。


ネガティブがポジティブを生み出しあっちへ行ったりこっちへ行ったりする事が人間の精神のあり方なのであれば、近しい人の死に関してなどだと、
時がそれをやがて癒すわけで、ゆっくりとフェードアウトする、思い出は時と共に薄まり。。。
そしてその精神活動をしたことにより美しい思い出だけを人間は心に宿し、お盆を迎えたりして、先祖に「ありがとうございます」と言える訳です。
心から。


折りしもお盆です。
「ご先祖さま。今私がここでこうしているのはみなさんのおかげです。いつも見守ってくださりありがとうございます」
と、ここに記しておこう。(勿論心からの言葉)


でも、自分でどんどんとポジティブシンキングを延々と増幅させていく行為というのは終わりないわけです。
己が自らそれを増幅するようするよう、精神に働きかけるわけです。そうなると、前述の理論で行くと
ポジティブシンキングはネガティブシンキングを増幅させるって事ですよ。
やればやるほど触れ幅は大きくなる、だって、自分で増幅させていくわけですからね。


あーだからポジティブシンキングにいつも気持ちの悪いものを感じていたのか、あたしって。と突然理路が繋がった。


やっぱ、中庸でしょ。(全国中庸普及協会


あ、いいんです。好きになされば。自己啓発どんどんなさってください。
ありがとうも言い続けて下さい。ポジティブシンキングも引き寄せも続けて下さい。
それが好きな人はやればよいです。人はみな自由。


これはあたしの頭の中の出来事であり、あたしの落とし処です。