コミュニケーションブレイクダウン


親とね、話すとですね、話題がちっとも咬み合わない訳。


今日はお線香を上げに行って来ました。


で、食事を共にした訳です。
母親と話をしていると、父親の愚痴やしなくてよい家族全般の心配話になったりするので、そのアタリの話題が出たら、すぐさま封印体制入ります。
そしたら、当たり障りのない会話になっていくわけですよ。


今日の話題
ブラックマヨネーズの顔の汚い方の方(すいません)の家がこないだテレヴィに出ていて凄く部屋が汚くて、だからあんなに顔も・・・とか。
いや、おかん、別にそれあたし聞きたくありませんけど。。。。。


聞きたくない話をあたしが無言の圧力及びするり話題変換で封印するのがいけないんでしょうかね?


しかし、あれですな。
母親というものはまるで「心配をするのが仕事である」と思っているところがあるようで。


心配しても何事もなるときはなるしならぬときはならぬ、であるからして、自ら日々心配の種を見つけそこにフォーカスして生きるより、違う視点を見つけよ母上、と事あるごとにゆうのだけれど。


一定以上のお歳を召された方って母親含め心配が好きなご様子。
趣味欄に「心配」って書けばよいほどに。
いやあれ、心配って趣味でしょ?


でも、気づいてないんだろうな。
家族の心配をする自分は家族想いである、という気持ちよさに嵌まり込んでいると言う事に。
表面上は心砕いて心配するので、やれあれが大変これが心配と言っているが、もちょっと潜在意識奥にそれがあると知ればなぁぁぁ〜。


逆に人の事を不思議がる訳です。
「何故何事に対してもおまえは愚痴をこぼさない?何も不満はないのか?自分の将来は心配ではないのか?」と。


愚痴は言っても不毛だし不満は人に言うものではないし先の事は解らないから心配はしないよ別に、と言うと「おまえは昔から考え方が変ってる」といわれる始末。


お母さん、心配しなくても人生何とかなりますよ。
住民税が上がって会社勤めの手取りが減ってウームと思うくらいで、概ね現状は平和ですし、出戻りとはいえ、あたしは楽しく暮らしております。