葡萄


デラウェアを食べながらキーボードは打てない事を本日知る。
ちまちま。


お盆中盤。
今年の休みは長い。
業務上外部対応日程的仕事調整につき8日間もの長丁場になった。
しかし、暑すぎて、休み中に「あそこに行こう、ここにも顔出そう」と思っていたものは全くもって遂行されずにこもりきりである。


2ヶ月ほど前に現役社長が亡くなった。
ばたこんばたこんと会社がしている。
まだ齢四十代であった。


人の死とは唐突に訪れるものである。
日々顔合わせしているという意味では家族の死の次に衝撃的なものである。
と、いうか家族より多く顔合わせしている訳だ。
週5日も顔見ていた人が、突然消えうせ、目の前からいなくなる。


毎年のお盆明け、必ず社長は聞きにきたものだ。
「お休み中どっかいった?」


それはあたしの休み動向が気になるからといったものではなく、自分が家族をつれてここに言ったんだよ〜というお話をしたいがための枕詞であった。
そして、延々とその話を聞かされるというのが毎年恒例であった。
あたしのお盆明けというものはそれを聞く事からスタートしていたのだ。


今年はというか、もう永遠にそれはないな。。。。と思うと、休み明けにふとした虚無感をまた感じるのであろうな、と思った。
毎年恒例のその行事はあたしにとって快適なものではなかったかもしれない。
家族旅行話を延々と聞いたり子供の事を嬉々として話されても「よかったですねぇ」とお義理の言葉しか返せなかったし。
しかしそれはもう永遠にないのだ、と思うと何故かいくばくかの寂しさを人は感ずるものなのだな。


いつもの事、というのは永遠には続かない。