タコライスが好きだ


唐突ですがタコライスが好きです。
しかし、いつも同じではつまらないと思い、なんとなく今日は謎のアジア風に作ってみた。


鶏ミンチを色々と味付けして、スイートチリソース系で、目玉焼き焼いて、グリーンリーフで、んでもってカシューナッツやら、適当に自分カテゴライズアジア系な、家にあるものをわさわさとご飯の上にかけて食べてみた。


想像してた通りの謎アジア飯になったよ!


ん〜美味しかった。


タコライスにはこれぐす、なのだが、最近スピリタスで自分で鷹のつめをつけたとうがらし酒を作ったので、それも味付けで使う。
辛い!おいしい!ご満悦なあたし。
色がほんのり赤く染まって美しい色。


スピリタスで色々とハーブを漬けて遊ぶのが楽しい。
友達にあげたら「作ってしまうというのがなんだか魔女っぽい・・・・」と言われた。
いや、あんた、アロマセラピー系な人たちはみんな魔女ですぜ。


あたしは個人使用だからアロマセラピーの資格なんていらない。
勿論サロンなどに勤める等の雇われ仕事で使うならあるほうがよいだろうし、なければいけないのかもしらん。
アロマは基本仕事では使わないし、自分で作ったものは友達にあげることしかしない。
エッセンスの資格は持っているけど、先生がイギリスの人だから、別に会費とか発生しないし。


っていうか、会費の発生するような資格はいらない。今のところは。
だって、結局お金儲けやん、と思ってしまうから。
あほらしい。


こういう考えになったのは、あたしの過去のセラピスト友人で資格マニアがいたからだ。
過去の、と言うのは、今何処で何をしているかさっぱりわからないからだ。
こういう業種には良くある事だ。
いわゆるエネルギー切れ、だったり、己の技量を超えたトンでもない人に当たってヤラレてしまうかすると、消えるセラピストは後を絶たない。
この世界から隠遁してしまうか、さらなる精進を遂げて復活するか、はその人次第だ。


彼女はあの資格、この資格、と山のように資格を取っていた。
しかし、資格というものにはおまけがついてくるものがある。
なにがしかの協会に属す会費が発生し、その資格を継続するのに年々会費を払わなければならない所があるからだ。
友人は、資格貧乏であった。数々の資格を維持するために色んな所に会費を年々払っていた。
そして、その内、払えなくなってきて一つ落とし、二つ落とし、と資格をなくしていったのだった。。。。
市井のセラピストは資格をなくしても別に仕事は出来るけど、彼女を見ていて学んだ事は、「本末転倒」という言葉だった。
資格の維持のためにお金がいるから、クライアントを何でも受ける。どうクライアントを増やすのか躍起になる。
儲け主義になってしまうと、キツいクライアントさんは「お得意様」と化してしまう。
そうなってしまうと己の技量を超えたクライアントを抱える事になり、結局は自分が潰れてしまう。
「依存、だめ、ぜったい。」
良くなって欲しいが良くなると自分が儲からない、というグルグルの輪の中に放り込まれてしまうよくある癒し人のジレンマがそこにあった。


矛盾しているが本当はこのような仕事が仕事にならずちっとも儲からない世の中になる事が一番の希望だったりする。
便りのないのは元気な証拠、は真理だ。


名前を維持するお金だけ払ってたらプロだとの認識は間違った概念を生むと思うから、資格という名前に捉われるよりも、実を取るため日々精進な心構えを忘れたくない。
なんとなく金儲け主義の資格制度に乗っかりたくない天邪鬼なあたし。


ほんとのところ、ほんまもんのヒーラーやセラピストには資格はいらない、とあたしは思う。
自己一生精進完全感性勝負。
テクニックとしての傾聴なんかより、ハートが開けられるかどうか、の方が大切。


ナラティブアプローチが出来るかというのは、臨床心理学の資格云々や学業で良い成績を取ることなんかよりも大切な事があると思う。
相手が本当に心の底から物語れるように、自己をカラッポにして明け渡す事がちゃんと現場で出来るかどうかしかないのだから。


「あたしはなんにもしてません。」というセラピストしかあたしは信用しないしあたしも常にクライアントにそう言うようにしている。
エッセンスだってエネルギーヒールだって、要はただの媒介。
あたまからっぽこころぽっかり。する事はそれだけだ。そこにあたしは存在しないのだからあたしはなんにもしていないのだ。