ああもう


10月になってしまったよ。
寒い。
しかしこの寒さはどうやらあたしだけみたいだった。


金曜日、朝、起きられなくて会社を休む。
しんどいとかそんなんではなく、なんでか全然目覚めず。
始業時間に何故かパチッと目が開き、「ありゃ?」って、電話。
昼から行くか〜、などと思いつつ、「調子が良かったら昼から出社します」と、言ったものの、
そのまま、また何故か猛烈に眠たくなって、気づいたのが昼の12時。
またまた、「ありゃりゃ?」となって、もう一度「やっぱりダメみたいです。すいません。今日は休みます」と電話してまた寝。


そして、気づいたら、夜遅くまで、延々と眠り続けていたのだった。


まるで何者かがあたしの時間をそっくりと奪い去っていくようなこのような眠り病がたまに発病するのだった。


寝続けるからもちろん食事を一切取らないわけで、本当に冬眠状態というかなんというか。


こういった眠りの後は何故か寒い。
代謝が落ちているのだと思うが。


かなり前、ちょっとした検査で訪れた病院で(調子が悪くて行った訳ではないということ)延々と待たされて、暇すぎて実験してみた事がある。
その頃、ヨガをかじってたので、瞑想してみて血圧がどう変化するかをご自由にお計り下さい血圧計で計ってみよう〜。と、瞑想前、瞑想後を計ってみたら、実験結果は、瞑想前上90下65、瞑想後上70下41だった。(椅子に座り瞑想30分)
上の血圧70って、なんぞこれ?と。
通常時でも上90台がデフォルトのあたしは低血圧である事は間違いないのだが、倦怠感、頭痛、だるさ、立ちくらみなどは普段全くない。
瞑想すげーーーおもろい!と思った。


日曜日、母親らと夕食に誘われ出かけた時にその話をすると「お腹が空いて目が覚めないのかい?私なんて食べないとお腹が空いて目が覚めてしまうよ」と言っていた。
お腹が空いて目が覚める?
「身体を動かしていないのに何故お腹がすくの?」と逆に質問してみたら、「やっぱりあんたはおかしいよ」と子供の頃から言われ慣れた事を言われる。
お腹が空いたときに食べればいいのでは?と、何もしない休日に1食だったりしても全然なんともない。
仕事をしている時は昼休みがくるから普通に食べるようにしているがお腹が空いてない時はやっぱり食べない。
で、4時位にぐぅ、って鳴ったらパン食べたりして。
一日三食という概念が全くわからない。時間が来たら食べるって一体何?誰が決めたの?
学生の頃は朝ごはんを食べなさいっ、と良く怒られていたものだ。
不規則な食生活は太る、とかいうけれど、太った事も今まで生きてきて一切ないんですけど?
顔色が悪くて不健康そうだとか、儚くて今にも消え入りそうだ、とも言われた事ないんですけど?


何を根拠に一日三食だとか食事時間不規則で太るとか、あたしには全く意味がわからなくて理解不能


前になんかでやってたぞ。
エジソンがパーコレーターとトースターを売りたいから「朝ごはんを食べよう!キャンペーン」を始めたのだと。
それだって、テレビがやってただけだから、ほんとの話かどうかわかりゃしないし。


人は自分のお腹がぐぅ、と鳴った時に、食べたい時に食べればいいんじゃないの?と延々と言い続けてきて、「やっぱりあんたはおかしいよ」と母に言われるだけになったのは気が楽だ。
「はいはい、おかしいですよー」ですむのだから。
だからといって食べるのをおろそかにしている事は一切ない。
美味しい食事が大好きだし、気が向けば手の込んだ料理も作るし。



「今日は寒いですよね?」と会社の人に言ったら、「今日は全然寒くないよ、まだ風邪が治ってないのね」と言われる。


風邪ではない。他に何も風邪らしき症状がいっさいないのだから。
でも、風邪と思い込んでいただけるのなら、それでよい。
こんな事は説明が出来ないから。「眠いだけなんです」などといおうものなら、社会人としてどうか?的発言だし。


自分でもたまに眠りすぎなのでは?と思うような日があるのだが、出社に支障が起こるほどの事は、まぁあんまりないので、(それでもたまにはあるからもしかしたらたちが悪いのかもしれん)まぁよいか、と、思っている。


しかし、このたまに現れるあたしを睡眠へと追いやり完全にあたしの時間を確実に盗んでいく、これは、一体、何なのだろうか?


年齢と共に眠れなくなる、というのは本当なのだろうか?
だからお年寄りは寝たくても朝早く何故か目がさめてしまうという。
その説が正しいのだとすれば、人は年々少しづつ眠りの時間が減っていくのか?
はたまた、ある日突然、「お年寄りフラグ」みたいなものが立ち、急カーブを描くように超絶早起きになったりするのだろうか?


たまに、訪れる時間泥棒のような、睡魔。


そして、そういう眠りのときは、やけにやたらめったら、ありとあらゆる夢を見て、現実を生きているより、なんだか、沢山の事をしたような感覚だけが残ったりするのだった。