聞きたくないの


久しぶりの友達からお茶の誘い。
次の仕事があるから30分だけ、って。


こりゃまたえらい短い時間ですわねぇ。が、お誘いを受けたとあらば、ありがたく参上いたします。
基本、人を誘わないはづかしがりやですからね。


したら、うぁぁん。話題が重かったです。


2.3日前に違う友達からもとっても久しぶりのメールをいただいて、その人も、なんかびっくり仰天なメール。


二人の共通キーワードは霊能者でした。


メールくれた子は、なんか良い霊能者と出会って色々見てもらったら、自分の人生のうんたらかんたらがあれのせいでこれのせいで、、、と。


はぁ(深いため息


お茶誘って来た子は最近知り合いが自らお命をお断ちになった模様で、それにからんで霊能者に見てもらったら、どうのこうの、、、と。


ふぅ(邪気払い


聞きたくない聞きたくない聞きたくない。


別に否定はしませんよ。それによって得るものがあるのなら。自由だから。
精神世界ウォッチャーだし、こんな仕事してますんで、知り合いの知り合いとかによぉさんそっち系いたはりますけどね。
実家関係も元々それ系関係の知り合いやら坊様関係やら、なにやらかにやら、いたはりますから、逆に、ぽっと出会うそれ系に気をつけろ、とのお達しを子供の頃より叩き込まれてきましたんで。
関わりたくないから、それ系が近づいてきたらあたしは離れる。


それによってあなたたちが得るものは一時的な安心でしょ?
安心をいくばくかの金額を払って買うことは否定しない。


でも、拝んでもらったら大丈夫、って他力本願はお止めになったほうがよろしいかと。
えーじき、餌食、の出来上がりになりますやんかいさ。


何をストーリーテラーとして選び、何を信じるのかは個人の自由なれど。
そのストーリーを「選ぶ」のも「選ばない」のも自分。
全部、自分、だよ。


どちらの人にも、「良くお見極めの上、自らが最善の事を、そして、気をつけてね」と言った。
祈る事、拝む事、全部、いま、ここで、じぶんがやると決めたら、そこで出来るのだから。


ひとは、なにかのせい、にするのが好きだな、と思った出来事。


目的と手段の取り違えには気をつけないと。