決めたことでもまた変わるかもしれないこと


土日東京。


場所にのまれた。
平常心を保てなくて自己卑下した。


悲しくなった。
ぐるぐるした。


でも、それらで気づいたことがある。


早く、にんげんになりたい(妖怪人間


決めたんだ。
普通になる。


普通になるとは悪い事が起こった時にあたしの中にたちあらわれる「お前が悪いったら悪いんだよ、何が何でも自分のせいなんだよ。」って感じてしまう癖を「いやべつに、そういうことでもないんではなかろうか?」とちょっとゆるくしてみようかと思ったという事。
これって、普通だ、よね、たぶん、ううん、わからんわからんが。


普通に生きて、普通に笑って泣いて怒って暮らすんだ。


欲しいものは欲しいといおう。
やりたいことはなんでもやろう。
言いたい事も言っちゃったりするんだ。
いい事わるい事なんだってやってやるんだ。
それらを抑制していい子ぶるのはもうやめよう。


自分のせいばかりにすることは人のせいばかりにすることよりもなんぼかは多分良いことなんだろうと思うが、それって単にいい子ぶってるだけでバランスくずれてねぇかな、と気づいたんだよね。


気づかせてくれて、ありがとう。
全ての起こった出来事に。


ぐずぐずしてると死んじゃうよ。
生きてる間なんてあっという間だ。


と、今日は思っている。
でも明日になったらまたわからない。


それを人は一貫性のなさ、と呼ぶかもしれない。
でも、一貫性に貫かれたにんげんなんて存在しない。
人は常に変わり続けるのだから。


要するに、昨日言った事はもう今日、考え方が変るかもしれないし、今日思った事も明日変わるかもしれない、という事。


そんな感じでいいんではないのか?と、思った、「今日」はポトフを食べたりした。キャベツキャベツしてる。