表面


親の気持ちについて痛い経験をした正月。


うちの父親はいつも怒っている。
何かにつけていつも怒り倒している。
歳を取ると穏やかになると世間的には言うのだが、父親に関してはそれはあてはまらないなぁ、といつも思っていた。
今まではそれがとても耐えられるものではなく、「なんでこの人はいつも怒っているのだ?」とずっと疑問で。


正月の中で、やっぱり彼は怒っていた。
あぁ、またいつもの…と思っていた。
が。


突然、「あぁこれは怒りではないんだ」と気づいた。
とある物事に対して表面上の言葉は怒りなのだが、父親のいわんとする本当の事が解ってしまった。


この人は、哀しみを怒りで表現しているだけなのだ、と。


そしたら、怒っている父親の前でぼろぼろぼろぼろ、泣けてきた。
この人の言わんとしてる事、その本質に突然触れてしまったのだ。


だから、表出した言葉は怒りなのに、中身は哀しみ、なんて、あぁ、なんて不器用な…、と。


そして、その不器用さというのは、あたしも少しばかり引き継いでいるものだった。
あたしは怒りはしないけど、自分の本当に言わんとしている事をうまく他者に言葉で伝えられないところがあるんだよな、というのに気づいてる。


一緒にいて欲しいのに、人は自由なんだからいつでも好きなときに好きなようにすればいいよ、とか。
心と逆の事を言ったりするのだった。


まるで、心から喉にかけての管の途中で、一ひねり捻れている感じで。


怒ってる父親の前で彼の内側の哀しみに触れてハラハラと泣く正月。
泣いていたら、父親はだんだんと落ち着いてきて、初めて、自分の心のうちにある思いを少し話した。
やっぱり、そうだった。
圧倒的な哀しみだったその内容は、あたしにはとてもとても痛くて。
その中身はあたしへの心配だった。


ありがとう、とだけ言って、親の家を後にした。