やるする


状況にも、結果にも、依存しない。
どうなるか、じゃなくて、どうするか。
読んだだけ、じゃなくて、使う、やる。


セラピスト友達と話してて、「おてて繋いで一緒に進みましょ」は、ないよね、という話になった。
自分はただ自分のやることをやるだけで。


人の事は助けられないよ、と癒し業なのに暴言を吐いてみる。
でもほんとなんだもの。
単なるお手伝いですもの。


ああいう方法ありますこういう方法もあります、とありとあらゆるメソッド教えても。
今のセッションでは調整しましたよ。
でも。
その人がそれを受け取らず、方法を教えても家に帰ってやらなかったら同じだ。
人は変化を事のほか恐れたり、どうなるか、とか考えてばかりで。


ただ、やりゃあいいんだよ、やりゃあ。
やると決めたらただ、やれ、だ。
決めた後に揺らいだら、また、決めろ、だ、何度でも。
こけても立ち上がれっちゅうこった。
こけたまんまでいつまでも、その場でしゃがみこんで泣いているのは、好きでやってんでしょ?って感じ。


ようは、自分しか、自分を助けられない。
これが、天は自らを助けるものを助く、の、ほんとの意味だとおもう。


でも、いいんだよ、その場に安寧する事も、こけたまんまで泣き続けるのも。
ぜんぶその人の、自由なんだから。


人は、みな自由だ。
やりたいから、やってる。
ただ、それだけだ。


結果に執着せず、ただ、やる、という事、これをカルマヨガという。
ただ、行為する、行為自体を神様にあげる、というヒンズー概念。