助けたい病


全ての癒し人は助けたい病。
もちろんあたしも。


そして、自分が乗り越えて理解している分しか人の事は癒せない。


自分の癒せていない部分を理解した時、愕然としつつも、シフトする。


思考で思考をなだめていたり、知識とメソッドだけでは超えられないところがある。
知識をまさぐり続けても、言葉遊びは過ぎると今度はそれが毒となる。
この仕事は複雑怪奇。
受ける人がいないほうが世の中は幸せなのだ。


何故、人は苦しむのか?
本質を知れば、そこには問題はないのに。


問題とは起こる事象に対して自分がネガティブな感情を喚起させて悩みを作り出し、事象の上にチョコレートコーティングのように自分の思考が作り出した悩みを日々塗りたくり分厚くしていく事だ。


いい事もわるい事もただ起こる。


いい事が来たら楽しめばよいし、わるい事が来たら、どう対処するか、を考えて自分が変えられるところは変えるだけでいいのだ。
自分がやるだけのことをできるだけやって、その他の変えられない所があるならば、ただ、じっと待つ。


いや、待つという事すらしなくて良い。待たなくて忘れてしまえばよいのだ。
忘れられないのは自分が考え続けるから。
違う事を考えればよい。
考えを止めるのに有効なのは身体を使う事。
その場にじっとしていると、暇なもんだから頭が止まらないのだ。
疲れきってしまうまで身体を動かせば、人は眠るもの。眠ったら頭は止まる。
頭脳労働ばかりだから現代の人間はエネルギーがあり余ってる。


事象はただの事象。
起こることに文句をいう事、ただそれをやめるだけでよいのに。


と、言葉にすれば激しくシンプルなこと。
それができないから、人は苦しむのでこの仕事がある。


てっとりばやいのはそれを本当に理解している人、に会うことだ。
自らで体験して抜け出した人しか教えられない事がある。
絵に描いた餅を知ってるだけの人と餅を食べた事がある人の違い。


人を癒す事自体が自分を癒す事。
だからみんなこんな仕事をしている人は助けたい病。


まずは自分の病に気づく事。
それが一番大切だと、先日師匠に会って気づいた。
とても大きなブレイクスルー。
かなり、嬉しい。