新しい人


水曜日、新しい人に髪を切ってもらった。
長年行き続けたヘアスタイリストさんの腕の限界を少し感じてしまったから。
彼は疲れていた。自分でサロンを経営していたが、1年前スタッフが突然辞めてしまった。
その後に彼が選んだのが、もうスタッフを入れないで完全予約制でやる、という営業スタイルだった。
人件費がかからないし、気楽だからこのほうがいいんだよ、と彼はそれを選んだ。
しかし、一人でサロンを切り盛りし続ける、という事は雑務も全て一人でやる、という事と繋がる。
人件費は削減されるが、自分で行わなければならない事が非常に増えてしまう。
タオルの洗濯から干し、掃除、シャンプー、その他全て店を回すための雑務。


美容師は縦社会だ。新人もしくは雇われたスタッフが雑務をする。次にシャンプーをする、そして、徐々に髪を切らせてもらえるようになる。
アシスタントという下積みが長い業界だ。
東京にはアシスタントを現在やっている友達もいるが、店が終ってから日々練習だ。家に帰るのは毎晩零時を回る。


最初の頃はそれでも良かったようなのだが、1年経ってみて、明らかに疲れが酷くなっている。
そしてその疲れが腕に如実に表れ始めた。
前々回髪を切ってもらった時に今までとは違う違和感を感じた。
切った後の髪の収まりが非常に悪い。
長年同じ人に切ってもらう事のメリットとは、毛流れや髪質、生え癖などを熟知してもらっているので、どんな日常を想定してもある程度はうまく収まる髪に仕上がるという事だ。
一度目はまぁ、たまにはこんな事もあるかな、と思ったが前回切ってもらった時にさらに前々回よりも納得のいかない仕上がりになってしまって。
長くおつきあいしていたので、少し悲しくなったが、納得できないものには納得できないので、美容師を変えよう、と思い至った。


友達に誰か良い人はいないかい?と聞いて、新しい人を紹介してもらった。
新しい人に髪を切ってもらう時は非常にドキドキする。
相性というものがあるからだ。腕が良くても感性が違うと、出来上がった髪は違和感を生じさせるものだ。
美容師というものはまず、その人の当日の服からその人を探るのだ。
だから出来るだけ、自分でこの雰囲気にしたい、というものを着ていくほうがいいのだ。
ただ、今回は紹介してもらったヘアスタイリストは週末に向けて雑誌の仕込みの仕事があって、という事で夜9時から切ってもらう事になったので、仕事帰りの普段着で出かけた。
始めて切ってもらう人に必ず言う言葉「あなたの好きにして下さい」
相手を非常に緊張させるのを承知で。
この言葉は、試されている、と思わせるそうだ。
スタイルブックも持って行かないし、見ない、レイヤーを入れる入れないも、長さも全く指定しない、「おまかせ」は恐ろしいそうだ。
普段着で出かけたので指定したのは来週スーツを着る用事があるから、それを考慮に入れて欲しい、と言っただけ。
こんな髪型にして下さい、とスタイルブックを持っていく人はやりやすい人で、あたしのように「好きにして!」という人はやりにくい人なんだそうだ。
勝負を挑まれている気になる、と。
勝負というか、なんというか、あたしはただ自由にしてもらってこそ、その人の技量が見えると思うからそういうだけなのだけれども。


結果は非常に気に入り、今度からこの人に切ってもらおう、と思った。


10年同じ人に切り続けてもらっていた。
何も言わずに去ることは心苦しいのだけれども。
疲れが技術に表れてしまっているのを指摘するのは、あたしには出来ないのだった。
仕事量と仕事の質のバランス。
一人で仕事をする時の、バランスの取り方は非常に難しいものなのだろうと思う。
客商売というものはただ儲かればいいというものではなく。
家賃その他、経費も稼がねばならないけれど、一人で出来る事の限界を知る事も大切だ。
疲れてしまって、腕が落ちてしまった彼に仕事を減らすかスタッフを入れよ、とあたしがいう事ではない気がして。