切なさを割る


いろんな事が引き金になってとんでもなく切ない、と思うときがある。
切ないっていう感情はちょっとばかり浸ってしまう。


原因があって切なくなる時、原因がなくて切なくなる時、どっちもある。
なんで切ないって感情に浸りがちになるのかをずっと見てみた。


原因がないときは感情が先に起こって、後からそれにつけたそうとするように切ない物事が頭の中に表れてくる。
例えば、あの時あの人とのあの別れ。
例えば、飼っていた動物の死。
思い出の洪水。
水かさはゆっくりと増えて行きやがて濁流へと変る。
どんどんと増幅して、切なさ倍増、瞳はうるうる、あ、あかん、もう、泣く…、となってしまう。
堤防決壊。


原因がない時のもうひとつのパターンはただただ、切ない。ひたすら、切ない。完全意味不明。


切ない感情の下にあるのは快楽だった。
甘く切ない、って昔から言葉で言うように、ほんとうに甘かった。


…この、エピキュリアンがっ!(一人つっこみ


感情を割る事は慣れるまで難しいけれど、コツをつかんだら案外できるもん。
感情をアクトアウトしないで真剣に感じていく。
そうしたら、粗い感情の下にさらに感情があるのだ。
だいたい二重構造になってるのだけど、もっと割れるのかもしれない。
下の感情にたどり着いたら上の粗い感情は消えてしまうから、二重構造だけなのかしら。
そして下の感情にたどり着いたら、それも消えてしまう。
ふわん、と素に戻るのだ。


怒りが一番簡単だった。
怒りを割ってみるとあたしの場合は必ず悲しみだ。
わかってもらえなくて悲しいから怒る。


切ないを割って出てきた甘いは、これ、何回も味わえる。


感情を味わう事。
それは、まるで、大切にとっておいて、味わいたい時に箱から出してきて舐めるキャンディのようで。


人はどうだかしらない。
あくまでも主観的体験でしか見れないから。


でも、あたしの切ないの下は、たいそう甘いものだった。
それはアジアで食べるドーナツみたいに口がグワーーーンってなるくらいの甘っぷりで。
これは、快楽だから辞められないのだ、と。


誕生日の前日、おかしなことに気がついたもんである。
切ないがこんなに甘いなんてね。嗚呼。


しかも、おでんをひたすら仕込んで、炊きながら(泣