男女の視点


日曜日、4月にイベントカフェを行う友達と、打ち合わせがてら、友人達のカフェを梯子。
あたしはイベント参加するだけだから、まぁ、おまけちゃんな訳だが、イベント自体を行う友達は、このイベントを機会に、いま独立開業しようかどうかの瀬戸際だ。
ようはお試し期間と言う感じで今年に入ってから今度のイベントで2回目のチャレンジとなる。


しかし、彼女が今、煮え切らない感じになっていて。
開業するのはかねてよりの彼女の夢である。
そして、居抜きでカフェを引き継がないか?の話が今年になって急に来ていて、何度かやってみて、いけそうだったら…と言う事でのチャレンジカフェなのである。


何故煮え切らないのか?は資金面、とモチベーション持続に関しての不安だ。
自己資金が足りないのではないか?自分の身の丈に合っていないのではないか?
と不安げな顔がちらほらと見受けられる。


それではやっている人に直接聞こうではないか、と。


女性でカフェ経営5年目になる友達の視点から語られるのはほんとうに地に足のついた実質的な事だった。
営業時間の試行錯誤、バックボーンやサポートの有無、時間帯メニュー開発から、客層のターゲッティング、コンセプト、それらひとつひとつを細かく検証しつつも、やりながら柔軟に変えて行く対応の仕方など。
常に流動していく流れを掴むのに自分の軸をまず見つめた上でその軸がしっかり見据えられているならば、細かく細かく再分化して刻んで刻んで、ありとあらゆる事を想定して作りながら考える、しかしいつも実質的な事に目をそらさずにいないと、金銭的な事は精神的に折れる要素になる事があるから気をつけて、という話だった。


男性でカフェ経営10年→スポンサードカフェでの雇われ店長5年の友達の視点は、また違っていて、自己資金不足の不安や、いわゆる開業する事に関してのありとあらゆる不安は、考えると考えるだけ増幅するので、それよりも、「何をどうやれば楽しく進められるのか?」の方にフォーカスを合わせて後は「ここ」だよ、と胸をドン!と叩いた。


小さな個人経営のカフェはやっている「人」に会いにくるものだ。
その人がかもし出す雰囲気そのままが店の雰囲気となり、その空気を感じるために人はやってくる。
ただ時間つぶしや単純なお茶ならチェーンのそこいらのカフェに入る訳で。
そこに、「その空間」があるから行く。
お店の近くに来たから「あの人がやってるから」行く。
そして、「居心地に魅了されてわざわざ」行く。
そこで人が繋がる。
繋がった人たちからまた新しい事が始まる。


これが出来たらカフェは成功だと、彼はニヤッと笑った。


そして、男女ともに共通していたのは、「とにかく、書け」と言う事だった。
メニューその他何でもかんでも思いつくこと全て、マップにしてもリストにしても、なんでもいいからとりあえず紙に書くのが一番大切、と。
イベントにしても、経営に踏み切るにしてもどちらにしても、タイムリミット計算、それを前倒しでこの地点ではこれを完了させておく、といったタイムテーブルも必要だ、等等。
何度でも書き出し、やりつつリスト改変、書く、書く、書く。
紙に、書く。


物事を実際にやっている、やってきた人の話というものは本当に「魂の入った言葉」で「経験の重み」が乗っていて、とてもためになった。


今回業種は違うが、男女両方の話を聞いてみて、自分の事を振り返ったら、どちらかというと、あたしは男性的な視点で自分の仕事を始めたよなぁと過去を振り返ってみて思った。
もちろんあたしの場合は会社員兼業なので食うに困る、といった地点には来ないし、運転資金もカフェなどの食品を扱うものとは違うので、無駄が出ることなどを計算しないで良いのだが、急に話が来た時に何の準備もなかったのに、「あら、じゃあやりますか」とやり始めてから、形を作って、その後はなんかどうにかなるだろう、なるようにしかならんのだから、と妙に度胸が据わっていたよなぁと、自分自身をまた、違う視点から見せてもらった感じがした。


自分の事、友達の事、見ていて思うのだが、いつも「チャンス話は急激に降ってくる」ように感じる。


つかめるか、つかめないか。
それは本人にしかわからない。


帰り道、友達は「石橋を叩いて壊す人なのよね、わたしは…」と、イッパイイッパイだよぅ、といった顔で呟いた。


壊さないでいてい欲しいな、あたしができることは手伝うからね、とバスに乗る彼女とhugして、別れた。


参考に偵察に訪れたカフェとお話を聞きに行った友達のカフェ、梯子しすぎて、お腹はタプタプ、しかしアタマもめいっぱいタプタプに満たされたとても有意義な一日。