泣きそうになった


土曜日、自転車で迷った。
土地勘がない、というのはこうも恐ろしいものかと思ったりして。
東京の道はくもの巣状なのでほんとうにわからない。
碁盤目の道の街からやってきた人間にとっては、迷路みたい。


でも自転車で迷ったから泣きそうになったのではなく。


仕事の事。
新しい職場はまぁ、なんといいますか、ヘッドハンティングならぬ、べつにヘッドじゃないからただのハンティングというか、お誘いというかそういうのでやってきた訳で。


難のある人がいる。
その人が入る女子すべていびり倒して、過去ことごとく女子が辞めて本当に困っているので是非に来てほしい、という話を最初に聞いていたのだが、そしてそれを承知でやってきたのだが。


この難がえげつない。


仕事に支障をきたすほど。
円滑に仕事をこなしても難癖をつけられる。
あぁこれでは次々辞めるはずだわ、というのが今回身を持って知った。


きっと何か病んでいなさるのだろう。
何をしても怒るのである。
例えば上司の灰皿を片付けた、ただそれだけで。
意味がわかりません。
それも、大丈夫だろうかこの方は…といったような、ブルブル震えてクビががくんがくんとなって怒るのである。
なんのホラーですかこれは?みたいな。
怖い。まじ、怖い。
何が怖いかというと、相手の血管が目の前でプチッと切れるのではないか?倒れたりしないだろうか?と逆に心配になるほどの怒りっぷりである。
こんな人、生きてきて初めて見ました。


だが、見るべきものは相手の欠点ではなく、自分自身の在り方だというのをあたしは最早知ってしまっているので。


彼女から受け取るものはあたしの場合、競争心だ。
良い方向へ競争心が働くのなら、それは成長に繋がるが競争心が形をかえて嫉妬心になってしまっている彼女を見て、それが自分の中に眠っていないかどうかをチェックするよい指針となる。


人が見せてくれるものは自分にあるものだ。
心がざわつくのは巻き込まれている証拠だ。


この地点、クリアしないと次に進めない。
だから、辞めない。


前任者は3ヶ月でもう転職活動に入っている。
それだけの酷い仕打ちをし続ける人のいる会社。


何をあたしに学ばせようというのですかいな、みたいな。


身体の師匠のさらに上の上、東京に来てトップの人に指導を受けることになり先日お会いした。
「不安」が身体に表れていますね、とすぐに指摘された。
精神はがんばります、と思っているが身体は正直だ。
ただ、ココロをざわつかせる人、ライバルは大切に扱いなさい、とふわりとこれまた、指摘される。


一番嫌な事をする人は自分にとって成長の種を運んでくれる人。
そこを見ること。
逃げたら問題はさらに形を変えてますます酷くなり結局対峙しないといけないことになる。


逃げたい、と泣きたくなった。
でも、逃げない。
もう、逃げたら何が起こるかを知ってしまっているから。