モノを捨てる


こないだテレビをポチッとつけたら須藤元気が出ていた。
すきとかすきでないとか、そういうのはまったくないのだけど、変わった人という印象を受ける人だ。


「モノをもつのにもエネルギーをつかうでしょ?」と。だから何か一日ひとつモノを手放すらしい。


ほぉぉぉ。
確かに。


コレクターさんが友人に数人いるけれど、確かに皆様パワフルだ。


なんとなく、あ、これはほんまやな、と自分は思ったので、その日から何か手放すものはないかどうか、毎日考えてみる時間を作ることにした。
あたしの場合は服が…。


先日買ったばかりでまだ2回しかはいていないスカート。
実は2回目にはいたとき、会社でお弁当のおかず、アスパラベーコンを落とし、正面に油のしみがついた。
家に帰っていろいろしみとりやらなにやらケアを最大限したが、元にはもどらず。


あたし、手放せない…捨てれないわけですよ。


デザインが気に入ってる。
今までと違い持ってない形だ。
まだ(たった!)2回しかはいていない。減価償却できてない!!!等等。


ぐちゃぐちゃぐねぐねぐるぐると考える→その思考時間自体がどないやねんっ!
ねるねるねるねのように思考は形を作り上げて行き、ああこれが、思考が感情を作り出し感情によって人間は行動が変化していく、の感覚。


と、いう地点に到達し、今日、捨てた。


そのスカートは6月17日に購入。
6月21日に友達たちと食事するのに1回目はき、2回目は確か7月に入りすぐの週、会社に着ていった。
そしてその日、私の朝作ったアスパラベーコンがスカートに陵辱を働いたのである。


毎日朝、クローゼットを眺め当日のお洋服を決める。
必ず、毎日1回はそのスカートを目にする。
しかし、シミがあるわけで、もちろん使わない物質と成り果てているのに、だ。
そして、毎日思うのだ。「あああたしはこのスカートをもう…はけない。ちょうかわいいのに。デザインが大好き。バルーンやばす。ああ、あたしがあの日、アスパラベーコンさえ作成しなければっ!」(一体何の後悔??


値段の問題でもない。
そのスカートはいわゆるアウトレット的なところで2000円ほどで手に入れたものだ。
30000円のスカートでも1000円のスカートでも、それは変わらないのだ。
自分が買うものは自分が”気に入って”買うわけだから、値段とはまったくかんけいがない。


手放すと、すっきりした。


これだけの、思考時間を、はけないスカートのために毎日割いている。
それがわかって、幸せだ。
手放す、が理解できた…ような、気分。