父の知らない祖父


お盆に大阪に帰省。


今回は20年以上会っていない叔父夫婦とご対面という不思議なイベントが待ち受けていた。
あたしが子供の頃にしか会っていない親戚に会うというのは本当に不思議な気分である。
物理的距離が遠いわけではなく精神的距離があり、父と叔父とは長年会わない事を選択してきた。
というより叔父が会うことを拒絶していた、というほうが正解である。
血の繋がったものたちは一度こじれるとなかなかタイヘンであるなぁと、感じさせる出来事が10年ほど前にあり、
そこからまったく付き合いがなかったのである。


今回は叔父が長年の菩提寺を変更し京都に移したことによるご先祖ミラクルみたいなものであった。


叔父と父は10歳年齢が離れている。
今回はその父の生まれていない10年間の祖父との出来事というものを叔父から聞いた。
あたしのまったく知らないおじいちゃんの話…。
父が生まれていないので当たり前なのだが、まさかの内容で幼少に亡くなったおじいちゃんのイメージとリンクしなくて、とてもおもしろかった。


祖父はロシア語と英語が堪能で横浜でホテルの支配人をしていたこと。
そのホテルが閉鎖され仕事がなくなり一度田舎に帰り、その後新しい仕事に就くために岡山に引越しそこで父が生まれたこと。
とても器用な人で料理もなんでも出来ていつも飲み屋で知り合いになった人を家に泊めてあげていたこと。
そうやって他人様に施しを何も考えずにし続けたり、酒豪で芸者を上げまくり一族のお金をつかいはたしてしまったこと。


や、やんちゃしまくりですがな、おじいちゃん…。


父の叔父へのコンプレックスが一緒にいると手に取るように透けて見える。
あんなに気を使い緊張している父を見るのは初めての様な気がした。
精進落としなので和食と思ったがもう何十年も経っているのでフレンチにしよう、と叔父が用意してくれていたお席で食事。
叔父の話はさらに続く。


さらに遡りもっと前の先祖が何をし、どういうことをしてきたのか、とか。
何代も前のおばあさんは寺を建てたので厨子にまつられてるとか、講をやってたとか。
長男が持つ先祖伝来の刀の話とか…。
父はその刀が欲しかったんだな〜とか諸々の話を聞いていて思ったが父は末子なのでそれは決して本家以外には手に入らない宝なのだった。


知らない話。
知らないおじいちゃん。
さらに遡り知らないご先祖様たちの話。


墓参りというシステムがもたらす先祖への語りはこうやって子孫に浸透していくのだ、とはじめて理解できた気がした。


墓参りの最中、兄弟で並んで歩く叔父と父を後ろから見ると歩き方がそっくりで。
手の向き、肩の動き方、身体の揺れ方。
そして、すっかり頭のさびしくなった叔父は思い出の中の祖父にそっくりで。


思い出し語られることにより連鎖していく鎖。
死者との繋がり。
忘れ去られぬようにと計らいされているシステムが繋ぐ和解。
ご先祖様ありがとう。
おもしろいはなしがいっぱいで楽しかった。